はじめまして。
プロフィールをご覧いただきありがとうございます。
アダルトチルドレンカウンセラーの結宇(ゆう)と申します(*^^*)
私は、生きづらさを抱えながら子育てを頑張っているお母さん達へ、感情にフォーカスしたカウンセリングを提供しています。
アダルトチルドレン、愛着障害、育児や夫婦間など家族の問題、トラウマ、性格改善したいなど、お一人お一人の心の声に寄り添い、解決に導きます。
私自身、厳しい母の教育や両親の不仲のある家庭で育ち、大人になっても漠然とした生きづらさに悩んできました。
40歳を過ぎて自分はアダルトチルドレンだと気付きました。それ以降、数々の学びや出会いに助けられ、今の私があります。
まさに今、苦しみの渦中にある方にとって、カウンセラーとの出会いは重要な転機となります。
どんな経験があるのか?人物像は?など、とても気になる点だと思いますし、きちんと知っておくことは大切だと思います。
もし良ければプロフィールをお読みになり、少しでも何か感じていただけたら幸いです。
親に甘えられなかった幼少期
私は、物心つく頃から両親に甘えたりだだをこねたりした記憶がありません。
教育熱心で甘えは許さない母
よく覚えているのは、幼稚園の頃から母と文字や英単語など色々なドリルを解いていたことです。
長時間に及ぶこともあり、私が眠くてウトウトしたり泣きべそをかくことも。しかし途中でやめることは許されず、言う事を聞くことは当たり前でした。
また、お菓子やジュースは禁止でした。
それでも子供らしく、「お菓子買って!」とスーパーで何度かお願いしたことも。しかし返事は毎回「ダメ」。
もうお母さんには何も言わないぞ、と決めてしまったことを覚えています。
真面目で寡黙な父
身体を動かすことが好きな父はよく外に遊びに連れて行ってくれました。しかしなぜか会話はほとんど無く、私は戸惑いを感じていました。
家になかでは部屋に籠ることが多かった父。
いつしか父が側にいると、緊張するようになります。
幼稚園時代、いじめられる
引っ越しのため幼稚園を転園し、いじめられてしまいます。
環境の変化に戸惑い1人で居ることが多く、気が強い子達に目を付けられてしまったのです。
園庭で一人でいると引っ張られて行き、したくない遊びに付き合わされても、「イヤだ」の一言が言えない。
道具類のいくつかは前の園のものを使用していました。
それを投げられ、私が暗い顔をすると「ブタ!」と笑われてしまう。
初めての経験に、悲しいというより驚きも。
みんなと一緒じゃないとこんな目に合うんだ、と強烈に感じていました。
先生に言ったら大ごとになるかもしれないし、親に言うと怒られる。
そう思い込んでいたので、助けも求めませんでした。
嫌なことは人にしないということは心に持ちつつ、目立たぬよう卒園まで過ごしました。
優しいけれど気が弱く、イヤと言えない性格は大人になっても続きます。
自分の意見を言えない
家でも学校でも我慢するのが当たり前
小学生時代
幼稚園時代の経験から、なるべく友達の輪に入り明るく過ごすように努めました。すると、いじめられることは無く生まれ変われた気分も味わえました。
しかし、自己主張は大の苦手。
友達に反対意見を言えないし、発表の場面ではいつも緊張して頭が真っ白に。
いじめられることは無くなっても人への恐怖感は残ったままでした。
家では、常に母が側にいる環境でした。
小学校から帰宅後は母がつきっきりで勉強を教えてくれて、夕食後もまた勉強というルーティン。
時々、友達が遊びの誘いに来てくれることも。
「遊んできていい?」と聞くのですが
「家で勉強でしょ。」と母。
友達に「遊べない、ごめんね」という時は涙をこらえていました。
それでも母が笑顔になると嬉しくて、自分の気持ちは二の次。
だんだんと友達と遊ぶことよりも、1人で過ごすことが楽になってしまいます。
妹を守りたいが誰にも頼れない
葛藤の日々
小学校高学年頃
家では、両親の喧嘩が絶えず母はよく泣いていて、私は悲しさと恐怖でいつも息をひそめていました。
それと、私の3歳下の妹も母にとても厳しく生活を管理されていたため、妹は泣き疲れて学校に行けなくなることも。
妹の件は、私も恐怖を押し殺し何度も母親に抗議。
その度に激怒され心底困り果てていました。
父に伝えてみても母に「もうやめたら」と言うだけ。
父が複雑な家庭環境で育ち、子供との接し方が分からないことは母から聞いていました。しかし、父親なのになぜ助けてくれないのかという不信感や嫌悪感は募るばかり。
結局、誰かに頼ることもできず、自分達がもっといい子になって母が楽になれば妹に酷いことをしなくなる、と私は判断。
ある日「全部お母さんの言う通りにしよう」と妹に伝えてしまいます。
妹は数年後、ストレスから重度の難聴に。
私は妹を守れない自分を責め、悪循環から抜け出せなくなります。
テストの点が悪いと母に冷たくされる
勉強ができないと価値が無いと思い込んだ学生時代
中学生時代
「学歴の高い兄姉と比較されて辛かったから自分のようにならないように」という母は常に言っていました。
その期待に応えるべく、勉学に励みます。
しかし、小学生時代とは違い母がつきっきりではなかったこともあり徐々にやる気を失い、成績は急降下。
母に定期テストの結果表を見せたある日、
「やっぱりあんたはダメだね。勉強できないから全部がダメ!」と怒鳴られ、衝撃が走りました。
全てを否定され、「母に嫌われた」というショック。
母から冷たくされ続けて、心から笑うこともできなくなります。
恐怖感や焦りから再び猛勉強して、成績は少しづつアップしました。高校受験に失敗したら、家にいられなくなる・・・。
不安を原動力にして、何とか受験も突破。
それまで大きな成功体験が無かった私にとって、やればできるんだという自信となりました。
同時に「私は勉強を頑張らないと価値が無い」という苦しい観念も根付いたと思います。
高校生、大学生時代
母の笑顔が見たくて、何事にも完璧を目指すように。成績は良好で、両親は喜んでくれました。
やっと「自慢の子」になれて嬉しかった。
しかし内面は自己否定の塊でした。
肌荒れもひどく、自分の顔も嫌い。
「勉強ができる」という鎧を身に着け、心を保っていました。
念願の社会人生活スタート
人と比較し、絶望感に襲われる
大学卒業後は地元を出て、介護職員として就職しました。
心身のサポートが必要な人のために働きたいという高校生からの夢を叶えられとても嬉しく、人生で初めて自由を感じました。
研修制度も充実した恵まれた環境の下、溢れる情熱を仕事に注ぐ日々。
しかし、「人よりもできないといけない」という意識から、常に同僚と自分を比較していました。
「○○さんは仕事が早いし、優しさもすごくある。私ももっと頑張らなくては・・・。」と焦りも感じるようになります。
仕事面だけでなく、相手の恵まれた家庭環境を知ると、疎ましく思ってしまう。
ふと、私には心の根っこが無いと感じた時の絶望感・・・。
せめて仕事で認められたくて、スキル向上のために休日にはボランティア活動にも邁進。
しかし自分へのダメ出しが止まらずさらに頑張るというサイクルに陥っていました。
摂食障害の症状も出る
交通事故にも遭うが自分を大切にできない
何かを埋めるように、過食の症状も出ていました。
健康でありたいという思いが異常にあり、体に良いとされる食品を大量に摂取。その反動で、スナック菓子を一気に食べる。
結果、体重を気にして、無理なダイエットというループに。
満たされない状況をどうにかしようともがいていました。
ある日の出勤途中、車にはねられる事故に遭いました。一時は意識不明に陥りましたが、運よく助かります。
直感的に、今のままではいけないというメッセージだと感じましたが、退院が近づくにつれ職場に迷惑をかけてしまったことで頭がいっぱいに。
早めに仕事に復帰し、頑張り続けました。
自分を大切にすることがどうしてもできなかった・・・。
周りの人の気持ちが何より大事だったのです。
この頃の救いは、一人で読書したり音楽を聴いて過ごす時間。それと、大学時代から交際していた今の夫の存在でした。
未来に希望をもつことで、前向きに生きることが出来ていました。
ついに両親と対立
状況に振り回され心身共に疲弊
社会人2年目の頃
親との関係で苦しんでいた妹が心療内科へ通い始めます。数回付き添い、その度に重症の妹を目の当たりに・・・。
無力感と罪悪感でいっぱいでした。
さすがに私だけで抱えることができず、両親にも状況を伝えました。
「心の病気など認めない」と言い張る両親との対立も始まります。
親子でつかみかかり、もう一歩で警察沙汰という喧嘩を何度もしました。
2年ほどかけて本音でぶつかり合った末に、両親は徐々に理解を示してくれるように。
母は、妹の訴えることを否定しないように努力してくれていたと後に分かりました。
状況が落ち着いてきたとはいえ、親子喧嘩もまだあり、妹がいつどうなるか分からないという不安も付きまとっていました。
心新たに転職するが人間関係で悩む
嫌われることが怖い
体調不良から検査を受けたところ、甲状腺機能の疾患も見つかります。
仕事は不規則だったため体調管理に不安を隠しきれなくなり、ついに退職。
悩んだ末、地元に戻り事務系の仕事に就職しました。
不安は大きかったですが手厚い指導のお陰で慣れることができ、役に立ちたいという意欲に燃えていました。
しかし慣れてくると前職と同様に自分と周りを比較したり、数字の面でも過度に期待に応えようとしてすぐに心の余裕が無い状態に。
仕事そのものよりも人間関係での疲労感も強くあったと思います。
上司の反応が一つ一つ気になり、ミスをして機嫌を損ねないよう神経をすり減らしていました。
ちょっとした雑談でも、嫌われたくなくてうまく本音を伝えられない。
そもそも自分の本音が分からないという状態でした。
「相手に合わせることが優しさ」と思っていたので、仕事の後の急な誘いも気が乗らなくても断れませんでした。
結婚、出産
幸せなはずがなぜか孤独
28歳で結婚
結婚を機に引っ越すことになり仕事も退職しました。
夫とは、自然体で話せる仲。
やっと自分の居場所が出来た感覚が生まれます。
両親との関係も変化
以前の対立は辛いものでしたが、不思議と穏やかな関係へと変化していました。
特に母は「子供の頃、教育の事で頭がいっぱいで厳しくしすぎた。夫婦喧嘩もたくさん見せていたよね。ごめんね。」と何度も言ってくれたのです。
厳しさは母なりの愛情だったんだなと感じました。
父は相変わらず寡黙でしたが、私も自分から電話をして相談事ができるほどに。
妹も通院は続いていましたが、前を向いて生きてくれていました。
「私も夫と最高の幸せを築いていこう。」
そう希望が溢れる中、スタートした結婚生活でした。
29歳、31歳で出産
2人の子供にも恵まれ、順風満帆。まさに幸せそのものでした。しかし、少しずつ夫婦仲に違和感を感じ始めます。
今思えばですが、私が家事や育児を完璧にこなそうとしたり、体調を崩しても夫にSOSを出せずにいました。
SOSを出せなくなったのは、ちょっとしたきっかけもありました。
私が発熱で寝込んでしまった日の夜。
「夜のうちに洗濯機回して、干しておいてくれる?」とお願いすると
「家事は自分の仕事じゃないからしない。」と夫。
予想外の言葉に、驚いても
「今は私が専業主婦だから仕方ないかな。」と疑問を飲み込む・・・。
本当に伝えたい事となると遠慮してしまっていたのです。
それ以降、普段から夫の態度が非協力的に感じ、イライラする日が増えました。しかし子供達のために喧嘩はしたくない。
私が(我慢して)家族を支える=幸せ
そう信じていました。
とても自己犠牲的に生きていたと思います。
少しづつ孤独感が募り、子供が「ママ大好き」と言ってくれても、素直に喜べなくなっていました。笑顔のママになるはずだったのに私は毎日怖い顔をしている・・・。
こんな自分が好かれるはずがない。
夜、子供たちの寝顔を見ながら自己嫌悪でいっぱいでした。
心療内科に行くが自分の心を優先できず
再び一人で頑張る道へ
結婚して10年ほど経った頃
不眠や疲労感がピークに。
意を決して心療内科の門をたたきます。
呼吸法を教わったり、依存性のない睡眠薬を処方してもらい一時的には楽に。
しかし根本的な解決口が見えず、面倒になり通院をやめてしまいました。
自分のためにじっくりと時間を割くことができなかったのです。
プラス思考で頑張ろう。そう思い直し、家族のために再び走り出します。
40歳で第3子を早産
自責の念でいっぱいになる
40歳の時に第3子を授かることができ、最高の喜びでした。
家族も新しい命を喜んでくれて、出産を心待ちに。
しかし母体側の原因により、3か月早く緊急帝王切開で出産となりました。
子供は三ヶ月の入院が決まり、しばらくは抱っこもできない・・・。
急展開に気持ちが付いていけず、子供の命を危険に晒してしまった、と過度に責任を感じてしまいます。
担当の先生が「お母さんが胎動の少なさに気づいたから赤ちゃんは助かったんですよ。」と言って下さってもこんな母親で申し訳ないと感じていました。
私には価値が無い・・・
話を聴いてもらえず
夫への怒りや悲しさが爆発
子供の入院期間中、思い切って何度か夫に不安を打ち明けます。
私「妊娠中に体調が悪くても無理したから早産になったと思う。
今後もし発達に影響があったらどうしよう・・・。」
夫「うーん。考えすぎじゃない?」
考えすぎなのは分かってるけど・・・と話を続けたかったのですが
表情を含め夫の反応が冷たく感じてしまい、変なことを言ってるのかなと弱気に。
それ以上は話せませんでした。
徐々に自分は誰からも必要とされていないと思い込み、気持ちを聴いてもらえない悲しさが溜まっていきます。
夫の事を無視したり、上の子供達にまで冷たくしてしまうことも。
子供達がいつも自由に外に遊びに行く姿を見て、イライラしていました。
「昔の母と同じだ」と愕然としても、どうしたらよいのか分かりませんでした。
家出や離婚まで考える
医療のおかげで、子供は後遺症も無く退院。言葉にできないほどの幸せを感じる瞬間もあるのに、夫婦の会話だけは一触即発状態でした。
「体調が悪い時に何もしてくれなかった。」
「会話中にほとんど目を合わせてくれたことがない。」など過去の不満までも一気にぶつけ、転がり落ちるように関係は悪化。
毎日、子供の目の前で夫に怒りをぶつけ、母と同じように泣いていました。
幼少期に辛かった事を、子供に経験をさせている自分が許せない。
こんな自分に価値はない。
子供達を連れて家出をするか、もしくは私がいないほうが子供達も幸せかもしれないとまで考えました。
何度も頭をよぎる離婚という文字。
まさにどん底にいました。
夫と喧嘩中に幼少期の記憶が蘇る
自分の内面と向き合う覚悟ができる
ある日の夕食の後、また些細なことで大喧嘩になってしまいます。
夫が好きなテレビ番組を見ているなか、
私「寝不足で大きな音がしんどいから、音量を下げてくれる?」
夫「なんで俺が我慢しないといけない?」
私「いつも言ってる事なのにまだ分からないの?だいたいなんでテレビ観てるの?」
テレビの音量一つで、止まらない怒り・・・。
この後、何を言っても夫に無視をされてしまい、「いい加減にして!」と泣き叫ぶ私。
泣きながら頭の中で、「どうしてこんなことになったんだろう。」という思いが巡っていました。
そのような状況で、なぜか幼い頃の悲しい記憶が出てきます。
母に理不尽なことを言われても、嫌だと言えない悔しさが溢れて、庭に飛び出して泣いている私です。
私が感情をぶつけたいのは夫ではなくて自分自身?両親?と視点が急に変わりました。
感情を大切な人に爆発してしまうのは、なぜだろう。
子供達のためにも私自身と向き合いたい、と初めて感じます。
それ以来、人生について知りたいという欲求が高まりスピリチュアル本や自己啓発本を読み漁るように。
感情をため込む癖や、被害者意識を持っている事などを自覚。
感情を見つめて捉え方を変えたら、何か変わるのでは?
真っ暗だった世界に、光が見えました。
後悔の気持ちに襲われ落ち込む日々
どん底から、少し上がってきた頃、数々の後悔に襲われ大きく落ち込みます。
心について若い頃から学びSNS等で発信している人達を知り、素晴らしいなと思うと同時に「今まで私は何をしてたんだろう。」という思いに駆られたのです。
子供の頃にもう少し人を頼っていれば。
もっと早く自分と向き合っていれば。
自分と同じ辛さを子供に経験させたくないという思いから、結局はコントロールしようとしていたこと。
10年以上、イライラを夫のせいにしてきたこと。
今でこそ人それぞれのベストタイミングがあると言い切れますが、当時は「できなかったこと」だけを見て、後悔していました。
溢れる苦しさを書き出すと楽になった
人の反応や顔色を気にする事が多く、悩んでいたある夜。
ずっと怖くて出来なかったことをしてみました。
それは感情や出来事を、紙に書き出すということ。
書くことが良い、と本で読んだことがあったのですが、ますます苦しくなるのでは?と思っていました。
書き殴ったような文字でしたが、それを見ると「こんなこと思ってるんだな」と客観視できる感覚に気付きました。
初めて、辛い感情を切り離せたのです。
苦しさから逃れたくて直感で始めた事でしたが、その日以来ノートに書き留めることは習慣に。
心が軽くなると、興味があった心理学プログラムを受講するなど、少しづつチャレンジもできるようになりました。
42歳 アダルトチルドレンのカウンセリングを受け、安心感が芽生える
私の生きづらさの原因は幼少期の経験が鍵だと確信。
勇気を出してアダルトチルドレンのプログラムと、数回のカウンセリングも受けます。
カウンセリングを受けることは私にとっては奇跡でした。
それまでは継続的に他人に頼ることができなかったからです。
カウンセラーのことは信じられないという思いもありました。
しかし、カウンセリングではその不信感さえも受け止めてもらえたのです。
最初に「人への恐怖感や不信感があるのはあなたのせいではない。苦しみと自分が一体化してるように感じるけど、本当は別なんですよ。」と話がありました。
「カウンセラーに言っても分かってもらえない。私はそう信じています。」とカウンセラーさんと一緒に何回も言ってみる。
その後に、身体から離れたもう一人の自分をイメージをして
「そうか~。そう思っているんだね。」と何度も言ってあげる。
元の自分に戻り、「やっと、話を聴いてもらえた。」と言う。
不信感に点数をつけたり、色のイメージをしてみる。
このように、ただ「受け止める」ことを繰り返していきました。
「もう一人の私」という設定に戸惑いながらも、これなら、いつでも実践できるなあと感じました。
自分で自分の気持ちを聞いてあげられるようになると一人じゃない感覚と共に、少しづつ芽生える安心感。
子供の頃、両親や友達に怖くて言えなかったことをイメージの中で伝え、
「私は本当はどうしたかったのか」「これからはどうしたいのか」を考え決めていくことも出来ました。
潜在意識が変化
自分らしく存在していいと思えるように
カウンセリングでは他にも「生きているだけで役に立っているよ」など愛のある言葉もかけてもらいました。
自分でも繰り返し言うことで「ここにいていいんだな」と思うことができました。
無視し続けてしまった幼い私に謝り、寄り添うワークも実践。
幼い私に会いに行くイメージをして
「今まで話を聴いてあげなくてごめんね」
「もう我慢しなくていいよ」
「諦めずにたくさんメッセージくれてありがとう」
そう話しかけると、大粒の涙が。
喜ぶ小さい私がそこにいました。
毎日続けていると、
日常生活で自分自身や子供に、何かができなくても存在していていいんだよ、どんなあなたでも愛してるよと実際に伝えることができるように。
ありのままでいい。
人と違っていても大丈夫。
そう潜在意識が変わり始めました。
夫に疑問点を素直に聞いてみることも実践。
夫は、自分の父親が家事をしなかったそうで、そんな父親を「かっこいい」と思っていたとのこと。
また、「自分は心配性だから家の中で暗い話をしたくなかった。子供の発達についても本当は毎日のように調べて不安になっていた」と話してくれました。
彼には彼の価値観があり、私も自分の価値観が当たり前と思い込んでいたと気付くことができました。
両親に対する気持ちも変化。
両親への感謝の気持ちは結婚後、常に増していました。
しかし、本音からは目を逸らしていて「いい子」を演じ続けているかも、と気付きます。
いい子ぶらず、親に対するドロドロした感情を書いたり声に出してみました。
繰り返していくと「親の人生は親のもの」と良い距離感を感じることができるように。
また、妹に対して「私のせいで、かわいそうだ」と思うことを手放しました。
罪悪感を手放すことで、力のある一人の人間として妹を見ることができています。
どんな経験も無駄ではなかった
「魂の使命」にも気付く
いつしか、マイナスだと思っていた経験の捉え方が変化。
「私が本当の自分に気付くために、自分で選んだ経験だった」と感じられるようになりました。
すると、「私の魂の使命」に自然と意識が向き始めました。
アダルトチルドレン特有の生きづらさで困っている人達に寄り添いたい。
それが私の使命だと気付き、未来へ向かって行動できるように。
自然と、心理学とカウンセリングスキルの講座との出会いにも恵まれたことが大きなターニングポイントになります。
感情の扱い方や、楽な人間関係の築き方などを学び、カウンセリングの実践を重ねてきました。
長年、自分には何も無いと思っていたのに「幸せだな」と思える瞬間が増え、「幸せを拡散したい」という気持ちが溢れ始めます。
マイナス感情を感じ切って解放するカウンセリングで
お母さん自身が本来の自分に戻るサポート
<現在の活動>
愛着障害、トラウマ、夫婦間や育児など家族間のお悩み、性格に関するお悩み等がある子育て中のお母さん達へ向けて、
アダルトチルドレン特有の辛い感情を解放し、潜在意識を書き換えるメソッドをお伝えしています。
育児中は我慢してきた感情が溢れることが多いのではないでしょうか。
その時こそ、幼いあなたからのメッセージを受け取るチャンスと捉え、
「何を感じても絶対に見捨てないよ」とまず伝えます。
そして、両親(特に母親)との関係に着目。
出したらダメだと決めてしまった気持ちを丸ごと受け入れ、
どんな場面でその感情は出てきたか等を紐解いていきます。
(感情は感じ切るほうが早く解放できますが、思い出すことに抵抗がある場合はペースを大切にします。)
両親を多面的に捉え直した上で、本当はどうしてほしかったか、
自分はどうしたかったか。
それらを明確にして潜在意識を書き換えていくと、あなた自身を育て直してあげることが可能です。
あなたはそうできる力を既に持っています。
<目指している世界>
私は、怒りや悲しみなどは親子連鎖することに多くの人が気付き、
少し視点を変えるだけで「今、幸せだな」と感じられる世の中を目指しています。
親が自分自身を好きになり、子供も安心感の中で育つ。
まずはそのような家庭が増えることを願っています。
<最後に>
ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。
自分がアダルトチルドレンかどうかよく分からない、とにかく今は家族といることも辛いという方もいらっしゃると思います。
・親にされて嫌だったことを、子供にしてしまい自己嫌悪に。
・無性に孤独感や怒りが湧いてくる。
・パートナーなど、気を許せる人に感情を爆発してしまう。
これらの「ヒント」に気づいても、原因が分からず繰り返してしまう辛さからは、
サポートがあると早く抜け出せます。
ゆっくり、一緒に探っていきませんか?
幼いころの自分を癒して今の自分も最大限大切にしてあげると、
どんな自分も好きになり、自然と未来が明るくなりますよ。
お母さんが満たされたら家族も変わり、その幸せは世代を超えて続きます。
あなたが、誰にも遠慮せず、自分らしく生きていい!と思えるように
お手伝いさせていただけると嬉しいです。